2009年8月7日金曜日

宇沢弘文著 「自動車の社会的費用」に思う 080930

2章分をまるまる使って、経済学者の視点からわが国の自動車・道路政策を批判しているが、この著書には、大きく2つの点で誤謬を感じる。
一つは、歩道もない道路を生み出してるのは、心ない設計者と行政官だと決めつけていること。二つは、ドライバーが心なくその道路を走って交通事故禍を引き起こしていることが、経済的にフリーライドだと決めつけていること。
批判に晒しているものの背後を見ていない。見ることにより、論点ががらっと変わる。そういう点では論の展開にミスを犯していると言える。

誤謬の1点目は、宇沢氏が道路設計、道路行政に明るい人に聞けば直ぐに自分の指摘が間違いだとわかることである。まず、設計者は良心を持っていたとしても、職業倫理上、委託者に従うのが前提であり、従わなければ委託業務を納めることができない。よって、指摘対象の論外。行政官は、道路整備事業を発注する主体だから罪がありそうだ。しかし、道路構造令で定めた道路規格(これを絶対視するのも大いに問題があるが)に従わせようとすると、日本の道路自体が道路規格より狭いので、規格に不足する分の用地が必要となり、確実に沿道を延長方向にわたって広域の用地買収が発生する。この用地買収にかかる費用や立ち退きにかかる期間を考慮すると、現道整備とせざるを得ないのが実際である。よって、行政官も致命的な責任があるわけではない。ただし、この道路構造令や道路法を決めた国民に責はあるとは言える。
経済学者なら現実の施策はこのあたりの比較考量により執られることを理解しているはず。知らないのなら勉強不足だし、故意であれば悪意を感じる。
まず、比較している欧州都市はすべて拡幅して整備をしているかを調べるべき。欧州は馬車の文化をもっており、自動車は馬車サイズ。現道整備で進めて問題はない。アメリカは最初から都市を造ったので、欧州に学び自動車サイズで道路を設計。マンハッタンが良例。日本でも更地に新設する道路は道路構造令の規格どおりに整備されている。一緒くたにして議論しているところによく考えずに結論を急いでいることが露呈している。社会学系の経済学者と標榜するなら、その程度の基礎調査には時間を惜しまないことが最低限。

誤謬の2点目は、経済学者らしからぬ視点と思う。経済学では個人は自己の効用を最大化するように行動するとの前提をおいている。道路があり、自動車があれば、その効用を最大化するように行動するのが個人であろう。青天井で最大化されると社会厚生が低下するので、交通ルールがある。そのペナルティの範囲で行動がなされる。これは基本。
よって、宇沢氏が指摘する個人がまき散らしている公害は、交通ルールの範囲内で行動して起こるものであり、それでも問題があるとするなら、それを許している社会があるから発現しているのであり、要は内生化が不十分なだけ。
社会的費用を内生化するのは政策であり、国民の意志決定である。これも巡り巡って国民に責がある。公害対策の内生化方策にはコースの定理なども含め様々議論がある。しかし、内生化とは公害の発生責任が明確な範囲を同定(政策的に)して法令等に取り込めば良いだけのことだから、例えば、自動車事故を起こしたら即、免停で一生自動車を運転できないとか、事故が多い道路は封鎖するとか、自動車を保有しない法律をつくるなどなんでもある。
しかし、経済学者でなくても分かるのだろうが、研究対象である現実経済を支えているのは、物の交易であるのだから、現実に自動車運用を停めることはできない。経済の停止、生活の質の低下、生命の停止までを意味する。そうすると、「しかたなく皆でしのぎながらやっている」状況を取り出して、外部不経済とか社会的費用とか言っても天に唾をするようなもの。経済学者なら、どのように内生化するのが、現実経済への悪影響を抑えられるかを考え提案するべき。門外漢はこまる。せめて自動車の幅を縮めろとの発想はでてこないだろうか。

1 件のコメント:

  1. 通学路の暴走自動車により、年間大勢の市民らが死傷し、妊婦や子供らまでもが犠牲になっている。
    そして、騒音、排ガス等における自動車公害も深刻で、緊急車両の到着遅延も引き起こしている。
    少子高齢化により、免許を返納する高齢者が急増、自動車前提という過ちを犯した地域ほど、買い物難民も急増。
    その対処に悩まされている。自動者前提社会の失敗から学んだ政策、構想が『コンパクトシティ』であります。
    自家用自動車前提地域ほど人口減が著しいことからして、自動車は地域を逆に不便に、劣悪に、危険にしてきた。益より害が遥かに上回ることが見て取れます。
    そして、現代、安倍総理内閣のもと、自動車不要で安全安心便利に暮らせるコンパクトシティが推進されようとしています。
    もはや、自動車依存という過ちは繰り返してはならないのです。

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