2009年7月8日水曜日

公共空間でのプライバシー侵害考

 Googleストリートで初めて訪れる地区の街並みを観ようとアクセスした。そこで不思議な光景を目の当たりにした。訪れようとする地番に方向を変えると、急に真っ黒くなるのだ。そうか、これがプライバシー侵害を理由にgoogleに削除を求めた結果なのだと気づいた。結局目的地の様子は分からずじまいだったので、地図を当てになんとか目的地にたどり着いた。用件が済み、帰りがけにプライバシー侵害が心配される建物があるかしばらく見渡してみた。しかし、何の変哲もない日本の街並みであり、人が妬みそうな屋敷があるわけでもなく、拍子抜けした。
 国が違うので何ら比較にはならないが、欧州諸国では道路や建物の前面は公共空間と位置づけられているそうだ。そのため自分の家だからといって、条例などで定められている材料や色以外のしつらえで家の顔を飾ることはできないそうだ。勝手にやると条例違反でもあり、撤去ややり直しをさせられるとのこと。かくして、欧州諸国の家並みは統一され、美的である。それを世界各国の人々が観て賞賛する。もちろん日本人も例外なく。しかし、ひとたび日本に帰ると、我が家は自分のものだから、自分が良ければ他人にとやかく言われる筋合いはないと決め込む。ついでにgoogleにも文句を言って、googleストリートから削除してもらう。これで安心。
でも何が安心なのか分からない。隣近所と統一の取れないデザインの家を建て、何に満足しているのか分からない。彼の地のようにみんなが合意できる基準が無いのだから、一人一人が他人に合わせることをためらうのも分からないではない。しかし、その一方で国ではビジットジャパンなどのキャンペーンを張り、諸外国から日本の街並みを見に来て貰うべく美しい景観づくりをしようとの政策を進めているようだ。しかし、このような現状で諸外国の人々が感心し、わざわざ見物に来るような建物や都市景観を造り得るのだろうか?答えは無理。無理だと思うとか考えるではなく、現実的に無理。仮に名前だけの景観法ではなく、景観統一のための強制を伴う法律案を作ったとしても、国民に得心をえて受け容れられることは無い。何故なら、この根本原因はくだんのプライバシー侵害意識にあるから。日本流のプライバシー保護を主張しているうちは、いわゆるme-ismから抜け出すことはない。自分だけが良ければいいという感覚と、自分だけが犠牲的に欲望を抑えても誰も賞賛しないし損をするだけだというさもしい感覚、そんなことをして何の特になるのかという損得勘定、そんなことに効果があることを考えたこともなかったという無知主義。まあ、どれをとっても街並みをユニバーサルな美しさをもったものとしていくことは現在の国民価値、政治体制では無理であろう。江戸期の整然とした町人長屋を良い景観だという人もいるが、欧州をはじめとして整然とした景観は個人が造りだしたものではなく、時の為政者の強制力にほかならない。良くも悪くも民主主義をとっている日本において、また、ますます統一性が希薄となるであろう地方分権制度下においては、街並みは統一感を欠く方向に向かうであろう事が容易に推察される。一つの可能性としては、かくも奇怪な景観は日本にしかないというような、他の国では実現しえない街並みとなることかもしれない。
 自国民の総意なら、それでもよいとは思う。しかし、プライバシー侵害意識が合理的な観点から是正されるなら、もっとユニバーサルな国民になり得るとも思う。