2009年6月18日木曜日

コンパクトシティとは

コンパクトシティについてのステレオタイプな議論が多い。
CO2削減、資源枯渇といった地球資源がこのままではもうもたないから、省エネ生活をして少しでも地球を延命、人類を延命させようと言うのが目指すゴールである。
そうするとコンパクトシティは、目指すゴールまで遠いこと、遠いこと。削減すべきCO2や枯渇するだろう資源はデジタルに示せるのだから、通常、その数値目標に向かって、これだけ削減しようね、と示していくものだろう。
で、コンパクトシティをするとCO2がどれだけ削減されるのか、はっきりしない。大学なんかがいろいろ計算しているが、コンパクトシティにより10%に満たない程度の削減効果しか予測されていない。当たり前と言えば、当たり前だが。
その削減率をコンパクトシティ構築代金で割ると、1円あたりのCO2削減率も僅かだ。CO2を削減しなければならないことは、人類にとって、背は腹に変えられない的な課題だから、マネータームで云々するのは禁じ手だとしても、何もそこまでやらなくたって、現在を生き抜くための課題だって山積なのに・・、とのぼやきも聞こえる。
それに、脳天気にコンパクトシティと鳥瞰的に言っているが、人はしゃれで居住地を決定しているのではないから、「これこれ、そこに住むと、CO2が増えますよ。移住してください。」なんて言われて、そうですか、それでは地価の高い都心に移り住みましょうか。ところで、我が家は4人家族なんですが、今住んでいる郊外の100㎡と同じ面積の住宅が与えられるんでしょうな。まさか、あなた経済が分かってない??そんなはず、あるわけ無いじゃないですか。庭もありませんし、4階部分の60㎡のマンションですよ。車庫はありません。 的な現実があるのに、コンパクトシティを標榜している国や自治体は、そこまでのツールを示して、コンパクトシティの実現を誘導してはいない。地域づくり、町おこしだなんていって、この数十年、地域一丸となって育ててきた郊外の街が、あなた、そこは限界集落に近い地区ですよ。都心に引っ越してください。なんて、そんな都市政策って、ありますか?つまり、現時点のコンパクトシティ議論は、工学的には意味があるが、社会経済・文化歴史的な観点からは、あまりにも陳腐である、詰めが甘いと感じる。