2009年10月26日月曜日

資本主義を制するのは中国だ 20091026

 リーマンショック以降、急速に資本主義を修正すべき議論がみられる(「資本主義の将来」(東大・朝日新聞共同開催、2009年10月23日開催)。修正の方向は、グローバルな金融恐慌を引きおこさない仕組みを資本主義の枠組みに組み入れること。そのアイデアの一つに、国連やG20などに市場のお目付役と柔らかい世界レベルの介入権限を与えようとするものがある。つまり、資本主義の基本原理である自由な競争は活かしながら、ある閾値を飛び越えそうになったら、世界総出でこれを食い止めようというもの。
しかし、より理想的には、今回のアメリカ発の雪崩が他国に及ぶ前に、雪崩は自国内で押しとどめる方策を持つことであろう。つまり、資本主義国において節度ある市場・金融政策を展開し、グローバルな影響は及ぼさないということだ。よく言われるように「倫理観」をもって資本主義活動をするなら、そうしたことも可能かも知れない。しかし、資本主義の基本原理である価格をバロメータとする競争には、倫理観は無力であり、それを持ち込んだ瞬間に経済競争に負けることを意味する。
 ところで、旧ソ連を始めとする共産主義は崩壊し、その原因の一つに計画経済が情報社会に対応できなかったことが言われている。しかし、過度な資本主義を修正する方向に、経済の計画性は一つの方向としてあり得る。そう考えると、資本主義+計画性=理想的な資本主義の構図が浮かび上がる。
この場合、歴史的に資本主義を採用してきたアメリカやヨーロッパ諸国では、計画経済を持ち込もうとすることに大いにアレルギーを起こすであろう。日本でさえ、計画経済の語は社会的に受容されにくい。
ところが、現在、社会主義国でありながら、経済は資本主義をとっている中国は破竹の成長を続けており、ここにヒントがありそうだ。つまり、中国は来年にも成長率が10%を超えようとの勢いで成長しているが、バブル様相を呈すると政府の介入が入る。政府の介入は絶対の国なので、政府の描く方向に実体経済を誘うことが可能となる。仮にスローダウンしても、再び資本主義の原理に基づいて競争を進めると、経済は闊達し始める。これこそ理想の修正資本主義の実現ではなかろうか。このようにして、将来予測どおり、中国は近い将来、GNP世界1になるであろう。
ここで見えてくることは、かつて計画経済をとっていた国が経済のメカニズムの一部に資本主義を取り入れる方が、市場のコントロールをうまくできる可能性をもつということである。
では、ロシアも可能か?それは難しいような気がする。外形的には中国と同じ政治経済体制であるが、即座に資本主義の部分を取り込む気概がロシアには見えない。ロシアでは、計画経済そのものを国民が望んでいるようであり、競争ベースの資本主義は肌合いが悪いようである。
他の社会主義国も中国のような可能性があり、資本主義から出発し、市場の制御に手を焼いている国よりも今後うまくやっていく可能性を秘めている。
 悪の枢軸国などと西側から呼ばれた共産主義ではあったが、目指すところは人々の生活の安寧なのだから、柔軟性をもって対応すれば結果的に勝者となり、世界に平和のモデルをもたらす可能性も秘める。

2009年10月19日月曜日

土建国家から○×国家へ  20091019

今回の政権交代のメルクマールは前原大臣の土建国家壊しにあるかもしれない。
八ツ場ダム建設工事中止の精神は、監督官庁である国土交通省の平成22年度予算要求に端的に表れている。他省庁の予算要求も含めて一覧すると、土建国家の構造を変えますとの宣言メニュー表に見えてくる。
土建産業に国家予算が付かなければ、民間の土建需要だけでは、雇用にしても産業波及効果にしても大きな期待はできない。
にわかに顔面蒼白の土建関係者だが、国の産業構造を即時に変えるにはこれぐらいの荒療治が必要なのかも知れない。変えたくなくても変わらざるを得ない金融分野では既にリーマンショックのような外的環境変化により、経験済みである。
金融にしろ、土建にしろ、企業はこの環境変化に即応しなければ、あるいは体力不足で即応できなければ、やがて産業の舞台からやがて降りなければならないだろう。
そうなると、一時的かもしれないが、目に見えてGNPは確実に低減するであろう。さらに政策的に何らの対策も打たなければ、そこから他の産業の経済低迷をも引き起こし、不況の連鎖が起こることも考えられる。
 その程度の考えには誰が考えても及ぶのだから、国はそうならないように、万全の対応策を検討していることだろう。
 さて、その対応策だが、土建国家の卒業が余儀なくされるのであれば、それに替わる別な国家像を形成する必要があり、別の産業振興に力を入れることが求められる。そうすると何年後かには、日本は○×国家になったね、と人々の口をついて出てくるようになるだろう。だが、果たして、その○×に何が入るのか。
これについて、現政権から明確な政策メッセージが出ているとは思えない。民主党政権だから、まさか、「福祉」国家でもあるまい。土建産業から卒業した人々が即座に福祉産業に入学してご飯を食べていけるほどに、福祉産業の仕掛けは成熟してはいない。入学しても直ぐにドロップアウトのおそれがある。
 他方、産業政策の転換により、関連する一国の多くの事柄が変化する。例えば、大学の講座名も変わる。これまでも土木工学は開発工学、基盤工学、環境工学などとカメレオンのように学部学科名を変えている。勿論、カリキュラムの内容はさほど変化が無いとは思うが、時代に翻弄されているようにも見える。しかし、どんなに姿を変えても安心・安定できない状況にありそうだ。土木関係の知識が社会にとって不要だと言うわけではない。中国を始めとする中進国ではこれからは花形になる学問かも知れない。既に下火になった学問の一つには原子力関係がある。下火になったが、今後需要が高まると、炎が大きくなるかと言うとそんなに単純な話ではない。下火になるということは、学究の場に留まらず、関連する人的な資源も波及的に減少することなので、生きた知識を継承する人材が減少すると言うことになる。知の空洞化とも言えるだろう。
これから益々減少が余儀なくされようとしている土建はどうか。
わが国の土建産業は、これまで開国から欧化を目指して驀進するため、国土づくりを一手に引き受けてきた。欧米の社会資本の水準に追いつくように国家政策目標に向けて展開してきた。しかし、身の回りを見回すと概ね社会インフラは整備され、それを使う人の数も徐々に減少し始めている。つまり、既に市場は飽和し、また新規工事より改良・補修工事が主体となり、益々事業展開をする場が少なくなってきているのである。この現状に鑑み本来国がやるべきことは、死に体を活かすためにダム工事を発注することではなく、需要の減少に見あった産業再編の誘導である。例えば、運輸産業では、規制緩和の政策誘導手法でタクシー業界の構造変化を促した。構造変化しきれたかどうかは疑問のあるところだが、まさにこのように政策を打つべきが土建業界の現状なのである。
例えば、蓄積してきた技術ノウハウを他で活用すべきとの判断に立つなら、アジアの市場に出ていけるようにすべきであろう。身の回りに仕事が無く海外まで行きたくないという意向が強ければ、他の産業に移っていけるように職業訓練を促すべきであろう。また、産業界に適正なマーケットサイズを示してやるのも、自主退場を促す点では有効であろう。いずれにしても、こうしたことを国民に知らしめないで乱暴に政策転換をするのでは、空気が読めないKY政府といわれても仕方がない。ムードもさることながら、自ら世界の経済中進国に格を下げて行うことにもなりかねない。
のちのち、この政策転換がわが国の産業政策の適切なメルクマールとなるように心掛けてほしいものである。