2020年1月13日月曜日

人に寄り添うクルマづくりをめざせないか

 クルマづくりが人に寄り添っていないという皮膚感覚は、長い間クルマを利用している私にとってはある意味利用するたびに感じる正直な印象である。その感覚が去年はかなりピークに達した。

クルマはかつて日本の経済の屋台骨であり、この産業の儲けや技術力のおかげで日本の国土も先進国並みに整備することができた。もちろん化石燃料を燃焼して走行するため深刻な排気ガス公害や交通事故禍などの社会問題も同時におきはした。
 しかし、自動車による人やモノの移動なくしては、いまの社会はつくり得なかったことも確かであろう。それだけに、国民の多くが日々利用する、あるいは利用せざるを得ないクルマはもっともっと人間が利用しやすい機械あるいはシステムとして成長してほしいと誰もが願っている。こうしたニーズに自動車業界だけでなく、多くの人々が取り組んできたのも確かであり、これは世界の流れでもある。事実、ミスを犯しがちな人間による運転を安全に支援する自動運転については、もう20年以上前から取り組まれてきた。AIの実用化もあり、一昨年あたりから運転の安全支援機構をそなえたクルマが市場に進出し、関連する法制度も改正されている。
 冒頭の違和感とも言える皮膚感覚がピークに近づいたのは、こうしたことも一因にはなっている。クルマがAI支援となれば、究極には人は乗り込むだけで事故もなく安全に目的地に着くことができる、ということだろう。しかし、現時点ではまだまだその境地には達していない。仮に人がハンドルから手を離して自動運転が可能となっても、クルマにまつわる事故はまだまだ起きうる。クルマは、停まっているところから安全に走り出し、また停まるという行為を安全に行うことができることが期待されている。現時点で喧伝されている自動運転は、走り出した後が主である。しかし、クルマが利用される自宅の車庫や街なかの駐車場には、誰でも簡単に安全にクルマを停めづらいところが多々ある。こうしたことを自動で行える機能を開発することは、クルマ産業の目標には明確に位置づけられていないように見える。自動化までは難しくても、運転するクルマの四周の様子が目視できたり、何かに接触しそうになったりすれば報知したり、あるいはクルマを止めたりする機構の開発と実用化は、現在の技術力で不可能とは言えないのではないだろうか。

 去年は未曾有の全国的な台風被害、とりわけ水害により、多くのクルマが被害にみまわれた。台風や津波などの被害報道の映像では、クルマが水にながされる光景はみなれたものとなっている。こうした被害にあったクルマは水が引いたあと、クルマの移動処分だけでなく、財産の損失、移動の足の損失などさまざまな社会的コストがかかる。とくに運転中に水害に巻き込まれた場合は命にかかわることも報じられている。
こうした報道をみていて疑問をいだくのは、クルマを開発・販売しているメーカーなどが改善などの対処にたいしてほとんど見解を示していないことである。もちろん、国の機関をはじめとして、クルマが水害に遭遇したときの対処として、クルマが水に浸った場合に起きうる機械的な不具合などについてまとめて公知しようとしている。しかし、これらはクルマが水に浸かったときの利用の心得であり、一言でいえば大量の水に浸かりそうなときにはクルマの利用は避けてくださいといったアラートにすぎないし、不具合などについても古くからの知見ではある。

 先に指摘したことは、水害時にクルマが水に流され、水が引いたときに復旧の支障になったり財産として価値を失しなったりすることへの対応が不十分ではないかということである。これは水害時にクルマを利用しなくても起こることで、クルマの社会的な位置づけに関することである。単にクルマを製造販売しているグループだけの責任として帰すことはできず、クルマの利用・規制などそれぞれに社会的な役割分担があることは明白ではある。財産としてのクルマが水害で壊れた場合は、車両保険などの補償が期待できる。しかし、クルマが停車場所から流出し家屋などに被害を与えた場合は補償の対象外であるようだし、車内に閉じ込められて不幸にしてケガや死亡した場合も明確ではないようだ。こうしたことへ保険の守備範囲を広げれば済むという見方もあるだろうが、そもそも水害に強いクルマを開発するという視点もありうる。

たとえば一つのアイデアとして、クルマがまだ水没しない水に流され始めた時点では船舶と同様の挙動となるので、クルマを駐車場などに係留する装置があれば、流出することはない。水没し水圧によりドアが開かなくなり水死に至るおそれがあると分かっているのであれば、水没しないクルマとする改善余地もあるし、ドライバーが窓を破るハンマーを備え忘れても人力でも水圧のかかるドアを開けられるような機械機構をそなえるよう改善する余地もあるだろう。クルマが水没せずに駐車場で係留できるのであれば、浸水のおそれがある危険な家屋にいるより、車内で水が引くまで安全に避難することもできるだろう。こうした工夫は、現在の技術水準で十分に対応可能と思われるし、開発されるクルマもこと日本国内での利用に限らず世界各地で利用できるだろう。

こうしたさまざまな改善、工夫の余地がありながら、昨年のモーターショウではそうした困難を克服するような未来型のクルマのイメージは示されなかったと報道されていた。とくに近年、クルマはネットワークが重要といわれ、クルマのバッテリーがコンセントを通じて家屋内の電力需要をまかなえるなどといったイメージも示されている。しかしここだけに注目しても、水に浸かったクルマでは発火のおそれがあるのであれば、特定の状況での利用しか考慮されていないことになる。また、情報などのネットワークが新しいまちづくりを実現するといったことは、クルマの未来像に限らず近年いわれているが、イメージ先行であり、人々の現実的な生活の改善にどれほど効果があるかは疑問ではある。
このようにクルマは社会の円滑な運営にきわめて重要な役割を担っているのに、あいかわらずクルマのCMといえば定番のデザインと走行性に主眼をおいたものが主流であるのも違和感を覚える。

人の移動を支えるクルマは当分は社会の重要なインフラであり続けるだろう。それだけに人に寄り添うクルマであってほしいと心から願うのである。


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