2009年6月19日金曜日

googleはタマネギの皮をむきはじめている

タマネギを剥くとは、もののたとえだが、タマネギをむいていくと、最後に何も残らない。タマネギとは解き明かすべき謎の塊だとたとえると、謎を解いていき、最後の見つかるだろうと期待する謎の大元はどこにも無いのがタマネギの皮むきの結果。タマネギの皮一枚一枚が謎であるのであって、いわばマトリョーシャみたいなものかも知れない。
で、これがgoogleとどう関係があるかって?

googleが何を目指しているかはっきりとはしないが、googleがやってきたことや、やり始めていることを見ると、人知の全てを可能な限り情報化して検索の対象としてしまおうということ。これは、世界最大のEncyclopediaを構築しているのであって、凡そ人間が認知できる情報が丸ごと入っていると考えられる。そして、その人知が時と空間を超え、googleの賢い検索機能により瞬時にゲットできるのだ。

僅か数年前まで、物事を調べようとすると、結構時間を要したし、調べ上げたという満足感は得られなかった。でも、いまではgoogleでほとんどの情報を調べ上げることができる。
こう言うと、ネットに入れられていない情報は調べられないじゃないかとか、本当にオイシイ情報はネットなんかには無いよとか、活きた情報はネットで得られるはずが無いなどとの素朴な疑問を呈する輩がいる。
パレートの理論ではないが、2割にあたる情報で全体の枢要な傾向や本質が分かれば、人間生活の殆どが充足する。3σ(標準偏差の3倍)もずれたところの極端な意見や情報は聞くに値するが、それが無くても、特段日常生活でこまることが無いし、残りの部分は類推や思考により補完するのでなければ人間の良さが活かせない。もっとも、うんと貴重な発見などは、知的財産として保護もせずにはネットに流せないよね。そんな情報はむしろ流すべきではないだろう。

なんだ、googleのやっていることはとても良いことではないか、何が問題なんだ、という声が聞こえる。

違う観点から見てみる。例えば、人間が成長するに合わせて獲得していくべき情報は年齢に適うかたちで様々あるだろうし、いつかは行ってみたという憧れの場所だったり、世界には自分が見たこともない民族がいるのでは、なんていう憧れを持っている人もいるだろう。でも、一度ググれば、たちどころに答えはみつかっちゃう。つまり、人生の秘密や憧れなんかというタマネギは、googleで剥かれしまうと、後には何も残らない。
そうすると、野を越え、山を越えて探し求める旅なんかは、少し少なくなるかもしれない。わざわざ飛行機に乗って外国に行かなくてもいいやという人も少し増えるかもしれない。もう世の中には秘密なんかないんだ、と落胆する若者もいるかもしれない。

じゃあ、googleがやろうとしていることは、人類にとって良くない事じゃないのか、と声を荒げる人もでてくるだろう。でもね、そうしたこともあるかもしれないけど、上で言ったように、そんなことは僅かなことであって、太宗はこれまで以上に世界が広がるメリットを享受できると思うよ。

これについては、過渡期だし、まだまだウォッチと考察が必要だね。

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